豊かで楽しく幸せで満たされた人生を送るために

アラフォーから本来の自分を生きる

やっと見つけた生きづらさの原因!?

書いていたら長くなってしまいましたが、結論は「生きづらいのは愛着障害が原因かもしれませんよ」ということです。

 

●プロローグ:私はどういう状態だったか?

私は今、心療内科的な場所に通院していませんし、側からみたら、普通の人に見えると思います。(普通ってなんだ?という話は置いておいて)

 

しかし、小さな頃から漠然とした生きづらさを抱えていました。
・自信がない
・自分がなにか場違いな場所にいる感じ
・誰にも本当にはわかってもらえない感じの孤独感
・突然襲ってくる空虚感、虚しさ
・生きている意味がわからず、生きているのが嫌になる
・自分が社会不適合な感じがする

などなど。

 

それでも、そんな自分のネガティブな感覚に蓋をして、意思の力(?)でなんとか今まで普通(=ここでは大多数の日本人と同じという意味です)にやってきました。

今思えば、決してしたくもない(というか右も左もよくわかっていなかった)中学受験を、親に言われるままして、私立中学、高校へ行き、親が喜ぶ一流と言われる大学へ行き、就職では失敗しつつも、まぁなんとか社会人として行きてきました。

 

●大学生の頃、初めて自分がウツ病ではないか?と疑う

大学一年の夏頃だったか秋頃だったか、虚しさが自分では抱えきれないほどになり、生きる気力がなくなり、勇気を出して母親に「私はウツ病かもしれないから、心療内科に行った方が良い気がする」と言ったら、「やめてよ!あなたがそんな病気なわけないでしょ!気のせいよ!」と言われたため、心療内科には行きませんでした。しかし一人では耐えられなかったため、再び勇気を出して大学の保健室のような場所へ行き、相談したところ「まぁ五月病みたいな感じですかね。そういうのありますよね」的なことを言われ、全く参考にならず終わりました。(今思うと、あの看護師?カウンセラー?はあの程度の対応で給料もらっているのは如何なものかと思う)

結局学生時代は、サークルや飲み会で虚しさを紛らわせ、なんとなく過ごせていました。

 

●スピリチュアル〜コーチング〜心理学につぎ込んだ日々

細かいことは端折りますが、その後、社会人になってからは特に「なんのために生きているのか?」から目を反らせないようになり、かと言って当時はまだマイナーな存在だった心療内科に行く勇気もなく、スピリチュアル系なセミナーや鑑定、トラウマを取るセラピーや前世療法、心理学のワークショップ、コーチング、NLPなどにお金と時間をつぎ込みまくりました。

しかし結局、ワークショップやセラピーに出たその時はなんか気分が良い感じがするものの、効果は長続きせず、いつしか「こんなこといくらやっても無駄だ」と感じて、それらすべてを卒業しました。(あのお金が今あれば・・・(悲))

 

●初めて心療内科へ〜診断名は躁鬱病

その後しばらくは健康的に過ごせていましたが、自営業で仕事も安定していないのに、何を思ったか突然一人暮らしをしたことをきっかけに、ひどい鬱状態に。もう本当に生きていることが辛くなり、このままだと自分は死んでしまうかもしれない。いや、死ぬ勇気はないけど、とにかくもう、ダメかもしれない・・と感じ、ついに人生初の「心療内科」を受診します。(この頃は私が大学生だった頃に比べ、ずっとウツ病心療内科が世の中に増えてきていた頃でした。)

 

藁をもすがる思いで、一人で心療内科へ向かいました。

診察室に入ると、同年代の女性が母親らしき人と一緒に待合室にいました。その女性は母親に寄りかかりながらシクシクと涙を流していました。私はその女性を見て、「あらぁ〜あの人、なんかすごい大変そう。世の中にはこんなに、メンタル病んで苦しんでいる人がいるんだなぁ・・・。それに比べたら私は全然マシかも」と、急にシラフ(?)な感覚になりました。それで自分の順番が来るまで待合室においてあったパンフレットを暇つぶしに読んでいました。

 

そのパンフレットは「あなたの不調、もしかして、ウツ病ではなく躁鬱病では?」というものだったのですが、読めば読むほど、自分に当てはまっているような気がしてきました。(なんかあの類のメンタル系の病気のチェックリストって、結局みんな当てはまるような気がするのは私だけでしょうか?)

それで、順番が来て診察室に入った時、医師に質問されるがままに状況を答えた後、最後に「さっき待合室で躁鬱病のパンフレットを読んでいたんですけど、なんか当てはまる気がしました」と伝えました。

すると、医師は「そうですね、あなたは躁鬱病ですね。しかも今とてもひどい状態ですから、実家に戻れるなら実家に戻った方が良いです。今の状態で一人暮らしは命の危険があります」と言われ、たくさんの薬を処方されました。

 

そのたくさんの薬を見て私は、「私って、こんなに酷いの?」と思うと同時に、ふと「っていうか、この医者、私がもし『パンフレット見て自分は躁鬱病に当てはまる気がする』と言わなかったら、なんと診断していたんだろう」という疑問が浮かび、なんだか信用ならないと感じました。

また、単に話を少し聞いただけでそんなにたくさんの薬を処方することに恐怖を感じ、薬は飲まずに、採用しても良いと思うアドバイスだけ採用することにしました。

ちなみにそのアドバイス

・実家に戻る

・規則正しい生活を心がける

です。

 

その後、実家に戻り、さらにありがたいことに知り合いの会社で負担の軽い仕事をいただくことができ、規則正しいリズム&所属ができたことで状態は一気に改善しました。(知り合いは何も事情を知らないですが。単に運が良かったのだと思います。ありがたい。)

※この体験から思うのは、規則正しい生活&所属する場所がある、ということはとても精神衛生上良い(必須とさえ言えるかも)ということです。

 

●2件目の心療内科へ〜診断名は「わからない」

実家に戻った後、フリーランスの仕事から普通に会社に行く仕事に変わったことで、生活のリズムが整ったこと、それから所属する場所ができたことで一気に回復しました。

しかし念の為、実家の近所の心療内科に行くことにしました。

この心療内科で「躁鬱病と言われた」こと含め、すべて事情を説明したところ、「躁鬱病かもしれないけど、そうじゃないかもしれないし、ウツ病かもしれないけど、そうじゃないかもしれないし・・・。こういう心の病気って、一回や二回話を聞いただけでは診断できないんですよね。そういう可能性はあるかも、という目星はつけられても、ほんの数回で病名を診断することまではできないです。だから、あなたが躁鬱病かどうか、私には今わかりません。

ただ言えるのは、今、生活のリズムを変えて、状態が回復したのであれば、この調子で行けばいいんじゃないでしょうか?もし心配だったら、来月また来てもらってもいいですけど」と言われました。

私はこのお医者さんの対応にはとても誠実なものを感じ、良い医者に出会えたことに安心を感じました。そして、念の為、翌月の予約をしました。

ただ結果としては、私の状態は全く問題なかったので、それを機会にもう病院に行くことをやめました。

このお医者さんに言われたことで心に残っているのは、

・心の病気は本当に名前をつけたりするのが難しいし、そもそも、病気とそうじゃない状態の境目も難しい。

・多かれ少なかれ皆、心の癖というか、そういうものはあるし、落ち込む時があるのも当然。

・ただ、人によってはその落ち込み方が激しい人とかもいて、それが通常の生活に支障をきたすケースもある。その場合はやはり病気ということで、問題なく生活できるまでケアする必要はあるけど。

・あなたが感情に幅があると認識しているのだったら、きっとそれが事実なんだろうけど、それとうまく付き合えれば何も問題ないと思う。逆にそのような振れ幅があるからこそできることはたくさんあるし、過去世界中で社会を改革した人たちや、突出した芸術家たちにはそういう特性を持った人たちがたくさんいた。だから、あなたのその特性は、「個性」と思って、うまく付き合ったら良いんじゃないでしょうか?

特に最後のメッセージは、自分を肯定してもらえたようでとても嬉しかったのを覚えています。

それまで、親(特に母親)からいつも、器用貧乏だとかなんとか言われ、一生懸命「普通」の人と同じようにしなくては行けない、自分のはみ出しているところをなんとか四角の中に収めなくては行けない、自分の悪いところを直さなくては行けない、と感じていたので、「そのままのあなたでいいじゃない?逆にそれが個性で、強みにできるかもよ?」と言われたのは、初めての体験でしたし、それを精神科医に言われたことが余計、なんだか安心というか、自分はこのままでいいのかも?と思えて嬉しかったです。

 

●3件目の心療内科へ〜診断名は再び「わからない。しかし躁鬱病ではない」

その後、数年順調だったのですが、人生に起きた大きな事件をきっかけに、落ち込むことが増え、また、「もう生きていたくない・・・」という感情に襲われることが増えました。

この時は色々あって、もしかしたら人生最大の落ち込み時期だったかもしれません。別の事情により仕事をやめていたこともあり、一歩も外に出られず、まさに引きこもり状態でした。

それで、数年振りにその時住んでいた家の近くの心療内科に行きました。

その結果言われたのは

・病名は、1、2回診断して話を聞いただけではわからない。

・少なくとも言えるのは鬱状態ではある。ただ、鬱状態ウツ病は違います。鬱状態は状態名であり、病気ではなく、誰でもあなたの身に起きたようなショックなこと、大変なことがあれば、落ち込んだりします。

・また、むかし躁鬱病と言われたことがあるそうですが、話を聞く限り、あなたは躁鬱病ではないと思います。躁鬱病というのは、もっと全く違います。

 

基本的に私は薬を飲みたくない人なので、そのことを伝えたら医師から「薬を飲みたくないのであれば、こちらとして言えることは「規則正しい生活をすること」くらいで、あとは心理カウンセリングを試してもらうくらいですね」と言われたため、まぁ確かにそうだよね、と納得し、その後2〜3回行って終わりました。(状態は改善していませんが)

結局薬を飲みたくない場合、

規則正しい生活を心がける

 - 特に起きる時間と寝る時間を毎日なるべく同じにすること。

 - なるべく1日1回は外にでて、散歩して陽に当たること。

 - なるべく体に良いものを食べること。

心理カウンセリングを受ける

くらいしかできることはないらしいです。

(その後自分で色んな本を読んで分かったのは、「日記をつける」「記録をつけて認知行行動療法を自分で試す」「適切な栄養をとる」というのも、薬以外でできることかと思います)

 

●4件目の心療内科へ〜「ダルマを生きるしかない」

ちなみにおまけ(?)として、3件目の心療内科に行っていた前後に、アユールヴェーダの診断もできる心療内科に数回行きました。そこでは「そうね、あなたのいうように、病気というより、魂の飢えの問題だと思うからダルマ(アーユルヴェーダの理論で、生きる目的とかそういう意味だと思います)を見つけてそれを生きるしか解決策はないんだろうね」と言われました。

私はこの診察を受けた時は、「なるほどやっぱり!」と納得&満足でしたが、今思うと、結局彼も最初の医師と同じで、私が話した私の見立てを繰り返しただけで、彼からの新しい指摘は何もなかったな、と不満に感じています。さらに私が受けたアーユルヴェーダ診断なるものは、保険が効かないのですごい高かったですから、ボッタクリみたいなものだったな、と感じます。(だからもちろんもう二度と行きません。どこの病院とは書きませんが、被害者が出ませんようにと祈るばかりです・・・)

 

●自分の見立て〜愛着障害&軽い境界性人格障害なのではないか?

その後、もう精神科医は本当にあてにならない、と心療内科へ行くことはバカバカしくなってやめました。その後、(詳細は端折りますが)最近になって、たまたま読んだ精神科医岡田尊司さんの本(「愛着障害」「境界性人格障害」など色々)が久々のヒットで、私の生き辛さの原因は、私に愛着障害があるからなのではないか?と感じました。

これは医者に言われたことでもないですし、自分で感じていることなだけなので、本当に私が愛着障害なのか、境界性人格障害なのかは分かりません。

ただ少なくとも、本を読んでみて当てはまることがたくさんありました。私は自殺未遂などはしたことがないし、今後もする気は無いので、多分その意味では、仮に境界性人格障害だったとしてもすごく軽い方なのだと思います。しかし、行動として自殺未遂などをしていないとしても、本の中に書かれていた、「そういうことをする人の心理」というのは、すごくよく分かります。

また、実はそれまで私自身、とても良い理想的な家に育っていた、と思っていたのですが、数年前から、実はうちの母は過干渉系の毒親だったことも判明しましたし、良い父親と思っていた父親も、まぁ父はいい人ではあるのですが、結局、なんですかね、本当に私自身を見てくれていたことはあまりなかったことが、最近生き始めた心理カウンセリングで分かってきました。

親は親で一生懸命やってくれていたんだと、頭ではもちろん分かっていますが、しかし、人間のベースの人格をつくる0〜3歳まで時期の私には、そんなこと分かりませんから、超条件付きの愛を与えられて、愛着障害を抱えていたとしても不思議はないと思います。

ちなみに、それでも私はギリギリまで、自分の親はいい理想的な親で、私が悪いんだ、私が何かおかしいんだ、と思っていました。しかし、決定的に、そうではない、私もなんか悪いしおかしいのかもしれないが、私の母親は決定的におかしい(=不健全)だった、ということが判明する事件がありました。それは完結にいうと、母親が最近自殺したということなのですが。

いま、その事件から数年たったので、やっとこうしてブログに書けるようになりましたけれど・・・。そしてやっと、「母が自殺をしたのは本当に悲しかったし、天地がひっくり変えるようなショックだったけれど、でも、ポジティブに考えるとすると、そのおかげで、私が被害妄想なのではなく、実際私の育てられた環境は精神的な虐待を受けた辛い環境だったのだ」と少しづつ認めることができるようになってきました。

そう、うちは、暴力を振るうとか、無視をする、という分かりやすい虐待は一切ないし、それどころか、先にも書いたように、中学受験をして中学から私立に行かせてもらい、習い事も色々して、とにかく教育熱心、子供中心の親だったので、私の家は本当にいい家だと信じて疑っていませんでした。

ただ、最近になって「毒親」というものが世の中に言われるようになり、自分で色々本を読んだりネットを調べたり、カウンセラーの方に聞く中で、「過干渉は精神的虐待に入る」ということがわかりました。

それでも、私はうちの親がそうだった、とはなかなか認められず、「私が自分が悪いのに、自分が生きづらいのを、うまく生きれないのを、被害意識妄想で親のせいにしようとしてるんじゃないか?」と思っていました。(今でもやっぱり少しはそういう気持ちがまだあります)

でも・・・多分客観的に考えて、母親が自殺をするってあまりないと思いますし、少なくとも健全な人は自殺はしないと思いますし・・・。

そう考えると、悲しいけれど、私の育った家は、どんなに良い家に見えたとしても、形は良い家ごっこをしていたんでしょうけど、ハリボテのような、中身のない、機能不全家族だったのかなぁと、それが今の私が考えていることです。

ちなみに一人の心理カウンセラーに言われたのは、私は被虐児ではないと思うが、私の母親は間違いなく被虐児であり、私は被虐児二世であるということ。

それに関して、つまり私自身が被虐児二世なのかどうか私はよく分かりませんが、少なくとも、超毒祖母に育てられた精神的に不安定な母親に育てられた私は、やっぱり問題がないわけないんだろうなぁ、とそんな風に考えています。

 

●原因不明の生き辛さを感じている人は「愛着障害」があるのかもしれない

長々書いてしまいましたが、今回の投稿で言いたかったのは、生き辛さを抱えている方で、心療内科でいろんな病名を言われたけど、いまいちピンとこないし改善もしない、という方は、もしかしたら「愛着障害」が原因であり、「境界性人格障害」の可能性もあるかもしれません、ということです。

境界性人格障害、というとなんだか怖い感じもしますから、「愛着障害」と言いますけど(本によると、うつ病などの他の精神病の原因でも「愛着障害」はあるみたいです)私の現段階の研究(勉強)によると、結局「愛着障害」を克服したら、回復する!!!ということです。

これは、私が読んだ何冊かの本の精神科医の方々が口を揃えておっしゃっています。道のりは長いかもしれないけれど、本人がやる気であれば、必ず克服できる、と。

 

●「愛着障害」を克服していきましょう!

実はこれこそ、このブログを始めようと思った理由です。

上記のように、私は長い年月とたくさんのお金を費やして、自分の生き辛さの原因を探し、克服しようとしてきました。しかし数十年かけても、惜しいところまで行くことはあっても、ど真ん中の原因発見&克服はまだできていません。

しかし、今年に入って、やっと、自分の生き辛さの原因ど真ん中と思えるものを見つけることができました。

なのでこれから、「愛着障害」を克服していこうと思っています。

そのための私の経過や、役立ったこと(情報、本、サプリ、考え方、運動、などなど)を投稿していきたいと思っています。

なぜなら、私は今まで落ち込んでどうしようもない時、いつもネットサーフィンをして、同じような状況で奮闘している方たちのブログを読んで励まされたりしていたからです。

だから、今度は自分が誰かの役に立てたら嬉しいし、それを励みに、自分自身、「愛着障害完全克服」の道を歩いていきたいと思っているからです。

(まだ完全回復はしていませんけど、病気に限らずどんなことも原因が特定できた時点で半分解決と言いますし)

 

長くなりましたが、今日は以上です!