豊かで楽しく幸せで満たされた人生を送るために

アラフォーから本来の自分を生きる

ネガティブを否定しない。それは大事なサイン

先日久々に実家に帰りました。

2泊しただけなのに、とても居心地が悪く、イライラもMAX。なぜ自分が生まれ育った家で、一応血が繋がっている家族なのに、こんなにも居心地悪いんだろうなぁ、と少し悲しくなりました。

 

朝は父とパソコンのことで少し会話をしたのですが、とても気分が悪くなりました。
なぜなのだろう?と考えてみて、気づきがあったので備忘録のためにもここに残します。

何があったかというと・・・。

そもそも今、私は古いパソコンを父に貸している状態です。なぜなら父のパソコンの調子が悪いというので、もう1年以上、私の古いパソコンを貸してあげています。

ここ重要なのですが、あげたのではなく、「貸している」だけです。
なぜなら、そのPCは現在の私のメインPCではありませんが、メインPCに何かあったときのためのサブの意味もありますし、あとはそちらの方が軽いので、持ち歩きにはそちらの方が便利だからです。

ただ、今私はメインでそのPCは使っていないので、父が自分のPCの調子が悪いと言ってイライラしているのをみるのも不快でしたし、姉からもなんとかしてくれと言われていたので、父が自分のPCを新しく買うなりする間、私のPCを貸すことにしたのです。(今書いていて気づきましたが、そもそもなぜ私が、父のPCの調子が悪いことを解決しなくてはいけないのか?なぜ姉からも「なんとかしてくれ」と言われないといけないのか、よく考えたら変ですね。今までずっと、電気機器関係で何かあると全て私がやらなくてはいけない状況にあったので、変であることに気づきませんでしたが・・・)

そんな中、昨日、どうしても仕事で昨日中にやらなくてはいけない作業がありました。これはタブレットではできずPCでないとできない作業で、私のメインPCは持ってきていなかったので、父に貸していた私のPCで作業していました。

そうしたら翌朝父から、「パソコン持っていった?」と聞かれました。
なので「PCでしかできない作業があったので使ってました。というかこれ、貸してるだけで、私も今回みたいに使いたいときあるから」と言いました。

そうしたら、「パソコン持っていくなら、データが全て入ってるから、データだけUSBか何かに入れておいて」と言われました。

が、私も用事があって出かけるところでしたし、どのデータを移せばいいのかもわからないので「自分でやって」と頼みました。(ちなみに別にパソコン持っていくとは言っていないのですが、面倒なのでそこはスルーしました)

その後10分くらいしてから「もういい。これデータ移せないからもういい」とややキレ気味にPCを返してきました。
なので私が「別に今日今すぐPC返してとはいっていないんだから、データ移すの今すぐやらなくてもいいですけど・・」と言ったところ「今じゃなくったって、できないからもういい!」と乱暴に言い放ち、PCを私の部屋の机に置き、出て行きました。

 

・・・ということがあり、大変気分が悪い。非常に不愉快だ。と朝からネガティブな気分でいっぱいでした。

今までの私だったら、そんなネガティブな気分を否定し、見ないようにし、蓋をして、なんとか頭を切り替えて前向きに明るいこと、ポジティブなことを考えるようにするか、あるいは、父親に対して親切に対応しなかった自分を責めて自己嫌悪に陥っていました。(つまり、父にPCをあげるなり、あるいは、データの以降を代わりにやってあげるなりをしなかった自分を責める。)

でも、最近カウンセリングを受けるようになり、また、毒親であるとか子育てに関する本を読んだり、色々勉強する中で、少しづつ冷静に、客観的に感情や出来事をみれるようになってきました。

それで感じたのは、

「これって、私は何も悪くなくない?」

「『データ移せないから、もういい!』って、本当にもういいなら、そんなことを乱暴にいう必要はないし、もっというと、『今までPC貸してくれてありがとう』と言ってもバチは当たらない。それなのに、まるで私が悪く私を責めるかのように『データ移せないから、もういい!』だなんて、とてもひどい。それってつまり、気づいているかいないか知らないけれど、私を責めているし、罪悪感を感じさせようとしているとも言える。

だから、今まで私が、自分を犠牲にしてまで両親を幸せにしなきゃ、と常に自分ではなく彼らの顔色を見て彼らを優先してきたのも、無理はない。だって、彼らはハッキリと言葉で言っていなくても、暗黙の言動で、そうやって私をコントロールしてきたのだから」

ということです。

そう。
今までの私だったら、自分の時間を削って、彼らの求めることをしてあげて、場合によってはモノ(タブレットなど)も買ってあげていたり、色々していました。
だから今回も前のクセがでて、「私が意地悪なのか?」と感じましたが、いや、違う、と思いました。親切ではないかもしれないけれど、でも、意地悪でもない。単に、私が必要だったから貸していた自分のPCを使っただけ。

だから私は、自己嫌悪を感じる必要もなければ、自分を責める必要もない。

 

でも私は長年こういう環境で育ってきたため、何かあったとき、すぐに自分を後回しにしたり、犠牲にするクセができているなということも気づきました。

でも、それは間違っている。私だって大事にされるべき存在だし、私は私を一番優先していい。それはワガママなことではない。
私は親を幸せにし、親のために、生まれてきたわけじゃない。私は親の奴隷ではない。

でも私の親は悪気はないのだと思うけれど、子供は親の所有物だと思っている節がある。

そう、私がイラっとするのは、そういうときが多いのかもしれない。

私が集中して仕事をしていても平気で部屋に入ってきて、「プリンター貸して」「これうまく動かないんだけど教えて」「アプリってどうやってダウンロードするの」などなど、私の都合は御構い無しに、自分の要求を突きつけてくる。しかも、私がそれを協力するのは当たり前のこと、として。
しかもこれは親だけではなく姉も私に対してそう。
私は家族の奴隷ではない。

そんな環境だったら、居心地が悪くて当然だ。私が居場所がないと感じても当然だ。

ハタから見たらどんなに教育熱心で、良い親、良い家族に見えたとしても・・・。

 

長々書いてしまいましたが、今日の書きたかったポイントは、

ネガティブを否定しない。違和感の感情を大事にする
なぜならそれは、
自分にとって大切な何かを教えてくれる、『本来の自分』『インナーチャイルド』からのメッセージだから
です。

ネガティブな感情が出てきたとき。何か違和感を感じたとき。
そんなとき、それに「反射的に反応」して、それを流したり、否定しないで、それに向き合い、「どうしてそう感じるんだろう?」と耳を傾けると、『インナーチャイルド』が、本来の自分を取り戻す上で必要なことを教えてくれます。

今回の私のケースのように、親など自分にとってパワーが上(と思い込んでいる=洗脳されている)登場人物が出てくると、つい、小さい頃からの思い込み、信じ込み、クセ、洗脳により、「自分が悪いんだ」というような自己嫌悪、自分を責める、という思考になるかもしれません。でも、自己嫌悪や自分を責めることからは何も生まれないし、(今書いていて気づきましたが)そもそも、自己嫌悪や自分を責めるという行為は、おかしい(不自然)と思います。

そう考えると、「自己嫌悪」や「自分を責める」思考が出てきた時も、「あれ?なんか変だぞ?」というサインですから、一度立ち止まって、客観的に状況を観察することが大事ですね。

 

毒親育ち、愛着障害があると、自分を苦しめる思考癖があり生きづらいですが、必ず回復できます!(と本に書いてあった)

ですから、同じような状況の方がいらっしゃったら、ぜひ一緒にがんばりましょう。私も引き続き、アップダウンありつつも、そんな自分も丸ごと受け入れて、「本来の自分」を取り戻して生きたいと思っています(^^)。