豊かで楽しく幸せで満たされた人生を送るために

アラフォーから本来の自分を生きる

ネガティブを否定しない。それは大事なサイン

先日久々に実家に帰りました。

2泊しただけなのに、とても居心地が悪く、イライラもMAX。なぜ自分が生まれ育った家で、一応血が繋がっている家族なのに、こんなにも居心地悪いんだろうなぁ、と少し悲しくなりました。

 

朝は父とパソコンのことで少し会話をしたのですが、とても気分が悪くなりました。
なぜなのだろう?と考えてみて、気づきがあったので備忘録のためにもここに残します。

何があったかというと・・・。

そもそも今、私は古いパソコンを父に貸している状態です。なぜなら父のパソコンの調子が悪いというので、もう1年以上、私の古いパソコンを貸してあげています。

ここ重要なのですが、あげたのではなく、「貸している」だけです。
なぜなら、そのPCは現在の私のメインPCではありませんが、メインPCに何かあったときのためのサブの意味もありますし、あとはそちらの方が軽いので、持ち歩きにはそちらの方が便利だからです。

ただ、今私はメインでそのPCは使っていないので、父が自分のPCの調子が悪いと言ってイライラしているのをみるのも不快でしたし、姉からもなんとかしてくれと言われていたので、父が自分のPCを新しく買うなりする間、私のPCを貸すことにしたのです。(今書いていて気づきましたが、そもそもなぜ私が、父のPCの調子が悪いことを解決しなくてはいけないのか?なぜ姉からも「なんとかしてくれ」と言われないといけないのか、よく考えたら変ですね。今までずっと、電気機器関係で何かあると全て私がやらなくてはいけない状況にあったので、変であることに気づきませんでしたが・・・)

そんな中、昨日、どうしても仕事で昨日中にやらなくてはいけない作業がありました。これはタブレットではできずPCでないとできない作業で、私のメインPCは持ってきていなかったので、父に貸していた私のPCで作業していました。

そうしたら翌朝父から、「パソコン持っていった?」と聞かれました。
なので「PCでしかできない作業があったので使ってました。というかこれ、貸してるだけで、私も今回みたいに使いたいときあるから」と言いました。

そうしたら、「パソコン持っていくなら、データが全て入ってるから、データだけUSBか何かに入れておいて」と言われました。

が、私も用事があって出かけるところでしたし、どのデータを移せばいいのかもわからないので「自分でやって」と頼みました。(ちなみに別にパソコン持っていくとは言っていないのですが、面倒なのでそこはスルーしました)

その後10分くらいしてから「もういい。これデータ移せないからもういい」とややキレ気味にPCを返してきました。
なので私が「別に今日今すぐPC返してとはいっていないんだから、データ移すの今すぐやらなくてもいいですけど・・」と言ったところ「今じゃなくったって、できないからもういい!」と乱暴に言い放ち、PCを私の部屋の机に置き、出て行きました。

 

・・・ということがあり、大変気分が悪い。非常に不愉快だ。と朝からネガティブな気分でいっぱいでした。

今までの私だったら、そんなネガティブな気分を否定し、見ないようにし、蓋をして、なんとか頭を切り替えて前向きに明るいこと、ポジティブなことを考えるようにするか、あるいは、父親に対して親切に対応しなかった自分を責めて自己嫌悪に陥っていました。(つまり、父にPCをあげるなり、あるいは、データの以降を代わりにやってあげるなりをしなかった自分を責める。)

でも、最近カウンセリングを受けるようになり、また、毒親であるとか子育てに関する本を読んだり、色々勉強する中で、少しづつ冷静に、客観的に感情や出来事をみれるようになってきました。

それで感じたのは、

「これって、私は何も悪くなくない?」

「『データ移せないから、もういい!』って、本当にもういいなら、そんなことを乱暴にいう必要はないし、もっというと、『今までPC貸してくれてありがとう』と言ってもバチは当たらない。それなのに、まるで私が悪く私を責めるかのように『データ移せないから、もういい!』だなんて、とてもひどい。それってつまり、気づいているかいないか知らないけれど、私を責めているし、罪悪感を感じさせようとしているとも言える。

だから、今まで私が、自分を犠牲にしてまで両親を幸せにしなきゃ、と常に自分ではなく彼らの顔色を見て彼らを優先してきたのも、無理はない。だって、彼らはハッキリと言葉で言っていなくても、暗黙の言動で、そうやって私をコントロールしてきたのだから」

ということです。

そう。
今までの私だったら、自分の時間を削って、彼らの求めることをしてあげて、場合によってはモノ(タブレットなど)も買ってあげていたり、色々していました。
だから今回も前のクセがでて、「私が意地悪なのか?」と感じましたが、いや、違う、と思いました。親切ではないかもしれないけれど、でも、意地悪でもない。単に、私が必要だったから貸していた自分のPCを使っただけ。

だから私は、自己嫌悪を感じる必要もなければ、自分を責める必要もない。

 

でも私は長年こういう環境で育ってきたため、何かあったとき、すぐに自分を後回しにしたり、犠牲にするクセができているなということも気づきました。

でも、それは間違っている。私だって大事にされるべき存在だし、私は私を一番優先していい。それはワガママなことではない。
私は親を幸せにし、親のために、生まれてきたわけじゃない。私は親の奴隷ではない。

でも私の親は悪気はないのだと思うけれど、子供は親の所有物だと思っている節がある。

そう、私がイラっとするのは、そういうときが多いのかもしれない。

私が集中して仕事をしていても平気で部屋に入ってきて、「プリンター貸して」「これうまく動かないんだけど教えて」「アプリってどうやってダウンロードするの」などなど、私の都合は御構い無しに、自分の要求を突きつけてくる。しかも、私がそれを協力するのは当たり前のこと、として。
しかもこれは親だけではなく姉も私に対してそう。
私は家族の奴隷ではない。

そんな環境だったら、居心地が悪くて当然だ。私が居場所がないと感じても当然だ。

ハタから見たらどんなに教育熱心で、良い親、良い家族に見えたとしても・・・。

 

長々書いてしまいましたが、今日の書きたかったポイントは、

ネガティブを否定しない。違和感の感情を大事にする
なぜならそれは、
自分にとって大切な何かを教えてくれる、『本来の自分』『インナーチャイルド』からのメッセージだから
です。

ネガティブな感情が出てきたとき。何か違和感を感じたとき。
そんなとき、それに「反射的に反応」して、それを流したり、否定しないで、それに向き合い、「どうしてそう感じるんだろう?」と耳を傾けると、『インナーチャイルド』が、本来の自分を取り戻す上で必要なことを教えてくれます。

今回の私のケースのように、親など自分にとってパワーが上(と思い込んでいる=洗脳されている)登場人物が出てくると、つい、小さい頃からの思い込み、信じ込み、クセ、洗脳により、「自分が悪いんだ」というような自己嫌悪、自分を責める、という思考になるかもしれません。でも、自己嫌悪や自分を責めることからは何も生まれないし、(今書いていて気づきましたが)そもそも、自己嫌悪や自分を責めるという行為は、おかしい(不自然)と思います。

そう考えると、「自己嫌悪」や「自分を責める」思考が出てきた時も、「あれ?なんか変だぞ?」というサインですから、一度立ち止まって、客観的に状況を観察することが大事ですね。

 

毒親育ち、愛着障害があると、自分を苦しめる思考癖があり生きづらいですが、必ず回復できます!(と本に書いてあった)

ですから、同じような状況の方がいらっしゃったら、ぜひ一緒にがんばりましょう。私も引き続き、アップダウンありつつも、そんな自分も丸ごと受け入れて、「本来の自分」を取り戻して生きたいと思っています(^^)。

やっと見つけた生きづらさの原因!?

書いていたら長くなってしまいましたが、結論は「生きづらいのは愛着障害が原因かもしれませんよ」ということです。

 

●プロローグ:私はどういう状態だったか?

私は今、心療内科的な場所に通院していませんし、側からみたら、普通の人に見えると思います。(普通ってなんだ?という話は置いておいて)

 

しかし、小さな頃から漠然とした生きづらさを抱えていました。
・自信がない
・自分がなにか場違いな場所にいる感じ
・誰にも本当にはわかってもらえない感じの孤独感
・突然襲ってくる空虚感、虚しさ
・生きている意味がわからず、生きているのが嫌になる
・自分が社会不適合な感じがする

などなど。

 

それでも、そんな自分のネガティブな感覚に蓋をして、意思の力(?)でなんとか今まで普通(=ここでは大多数の日本人と同じという意味です)にやってきました。

今思えば、決してしたくもない(というか右も左もよくわかっていなかった)中学受験を、親に言われるままして、私立中学、高校へ行き、親が喜ぶ一流と言われる大学へ行き、就職では失敗しつつも、まぁなんとか社会人として行きてきました。

 

●大学生の頃、初めて自分がウツ病ではないか?と疑う

大学一年の夏頃だったか秋頃だったか、虚しさが自分では抱えきれないほどになり、生きる気力がなくなり、勇気を出して母親に「私はウツ病かもしれないから、心療内科に行った方が良い気がする」と言ったら、「やめてよ!あなたがそんな病気なわけないでしょ!気のせいよ!」と言われたため、心療内科には行きませんでした。しかし一人では耐えられなかったため、再び勇気を出して大学の保健室のような場所へ行き、相談したところ「まぁ五月病みたいな感じですかね。そういうのありますよね」的なことを言われ、全く参考にならず終わりました。(今思うと、あの看護師?カウンセラー?はあの程度の対応で給料もらっているのは如何なものかと思う)

結局学生時代は、サークルや飲み会で虚しさを紛らわせ、なんとなく過ごせていました。

 

●スピリチュアル〜コーチング〜心理学につぎ込んだ日々

細かいことは端折りますが、その後、社会人になってからは特に「なんのために生きているのか?」から目を反らせないようになり、かと言って当時はまだマイナーな存在だった心療内科に行く勇気もなく、スピリチュアル系なセミナーや鑑定、トラウマを取るセラピーや前世療法、心理学のワークショップ、コーチング、NLPなどにお金と時間をつぎ込みまくりました。

しかし結局、ワークショップやセラピーに出たその時はなんか気分が良い感じがするものの、効果は長続きせず、いつしか「こんなこといくらやっても無駄だ」と感じて、それらすべてを卒業しました。(あのお金が今あれば・・・(悲))

 

●初めて心療内科へ〜診断名は躁鬱病

その後しばらくは健康的に過ごせていましたが、自営業で仕事も安定していないのに、何を思ったか突然一人暮らしをしたことをきっかけに、ひどい鬱状態に。もう本当に生きていることが辛くなり、このままだと自分は死んでしまうかもしれない。いや、死ぬ勇気はないけど、とにかくもう、ダメかもしれない・・と感じ、ついに人生初の「心療内科」を受診します。(この頃は私が大学生だった頃に比べ、ずっとウツ病心療内科が世の中に増えてきていた頃でした。)

 

藁をもすがる思いで、一人で心療内科へ向かいました。

診察室に入ると、同年代の女性が母親らしき人と一緒に待合室にいました。その女性は母親に寄りかかりながらシクシクと涙を流していました。私はその女性を見て、「あらぁ〜あの人、なんかすごい大変そう。世の中にはこんなに、メンタル病んで苦しんでいる人がいるんだなぁ・・・。それに比べたら私は全然マシかも」と、急にシラフ(?)な感覚になりました。それで自分の順番が来るまで待合室においてあったパンフレットを暇つぶしに読んでいました。

 

そのパンフレットは「あなたの不調、もしかして、ウツ病ではなく躁鬱病では?」というものだったのですが、読めば読むほど、自分に当てはまっているような気がしてきました。(なんかあの類のメンタル系の病気のチェックリストって、結局みんな当てはまるような気がするのは私だけでしょうか?)

それで、順番が来て診察室に入った時、医師に質問されるがままに状況を答えた後、最後に「さっき待合室で躁鬱病のパンフレットを読んでいたんですけど、なんか当てはまる気がしました」と伝えました。

すると、医師は「そうですね、あなたは躁鬱病ですね。しかも今とてもひどい状態ですから、実家に戻れるなら実家に戻った方が良いです。今の状態で一人暮らしは命の危険があります」と言われ、たくさんの薬を処方されました。

 

そのたくさんの薬を見て私は、「私って、こんなに酷いの?」と思うと同時に、ふと「っていうか、この医者、私がもし『パンフレット見て自分は躁鬱病に当てはまる気がする』と言わなかったら、なんと診断していたんだろう」という疑問が浮かび、なんだか信用ならないと感じました。

また、単に話を少し聞いただけでそんなにたくさんの薬を処方することに恐怖を感じ、薬は飲まずに、採用しても良いと思うアドバイスだけ採用することにしました。

ちなみにそのアドバイス

・実家に戻る

・規則正しい生活を心がける

です。

 

その後、実家に戻り、さらにありがたいことに知り合いの会社で負担の軽い仕事をいただくことができ、規則正しいリズム&所属ができたことで状態は一気に改善しました。(知り合いは何も事情を知らないですが。単に運が良かったのだと思います。ありがたい。)

※この体験から思うのは、規則正しい生活&所属する場所がある、ということはとても精神衛生上良い(必須とさえ言えるかも)ということです。

 

●2件目の心療内科へ〜診断名は「わからない」

実家に戻った後、フリーランスの仕事から普通に会社に行く仕事に変わったことで、生活のリズムが整ったこと、それから所属する場所ができたことで一気に回復しました。

しかし念の為、実家の近所の心療内科に行くことにしました。

この心療内科で「躁鬱病と言われた」こと含め、すべて事情を説明したところ、「躁鬱病かもしれないけど、そうじゃないかもしれないし、ウツ病かもしれないけど、そうじゃないかもしれないし・・・。こういう心の病気って、一回や二回話を聞いただけでは診断できないんですよね。そういう可能性はあるかも、という目星はつけられても、ほんの数回で病名を診断することまではできないです。だから、あなたが躁鬱病かどうか、私には今わかりません。

ただ言えるのは、今、生活のリズムを変えて、状態が回復したのであれば、この調子で行けばいいんじゃないでしょうか?もし心配だったら、来月また来てもらってもいいですけど」と言われました。

私はこのお医者さんの対応にはとても誠実なものを感じ、良い医者に出会えたことに安心を感じました。そして、念の為、翌月の予約をしました。

ただ結果としては、私の状態は全く問題なかったので、それを機会にもう病院に行くことをやめました。

このお医者さんに言われたことで心に残っているのは、

・心の病気は本当に名前をつけたりするのが難しいし、そもそも、病気とそうじゃない状態の境目も難しい。

・多かれ少なかれ皆、心の癖というか、そういうものはあるし、落ち込む時があるのも当然。

・ただ、人によってはその落ち込み方が激しい人とかもいて、それが通常の生活に支障をきたすケースもある。その場合はやはり病気ということで、問題なく生活できるまでケアする必要はあるけど。

・あなたが感情に幅があると認識しているのだったら、きっとそれが事実なんだろうけど、それとうまく付き合えれば何も問題ないと思う。逆にそのような振れ幅があるからこそできることはたくさんあるし、過去世界中で社会を改革した人たちや、突出した芸術家たちにはそういう特性を持った人たちがたくさんいた。だから、あなたのその特性は、「個性」と思って、うまく付き合ったら良いんじゃないでしょうか?

特に最後のメッセージは、自分を肯定してもらえたようでとても嬉しかったのを覚えています。

それまで、親(特に母親)からいつも、器用貧乏だとかなんとか言われ、一生懸命「普通」の人と同じようにしなくては行けない、自分のはみ出しているところをなんとか四角の中に収めなくては行けない、自分の悪いところを直さなくては行けない、と感じていたので、「そのままのあなたでいいじゃない?逆にそれが個性で、強みにできるかもよ?」と言われたのは、初めての体験でしたし、それを精神科医に言われたことが余計、なんだか安心というか、自分はこのままでいいのかも?と思えて嬉しかったです。

 

●3件目の心療内科へ〜診断名は再び「わからない。しかし躁鬱病ではない」

その後、数年順調だったのですが、人生に起きた大きな事件をきっかけに、落ち込むことが増え、また、「もう生きていたくない・・・」という感情に襲われることが増えました。

この時は色々あって、もしかしたら人生最大の落ち込み時期だったかもしれません。別の事情により仕事をやめていたこともあり、一歩も外に出られず、まさに引きこもり状態でした。

それで、数年振りにその時住んでいた家の近くの心療内科に行きました。

その結果言われたのは

・病名は、1、2回診断して話を聞いただけではわからない。

・少なくとも言えるのは鬱状態ではある。ただ、鬱状態ウツ病は違います。鬱状態は状態名であり、病気ではなく、誰でもあなたの身に起きたようなショックなこと、大変なことがあれば、落ち込んだりします。

・また、むかし躁鬱病と言われたことがあるそうですが、話を聞く限り、あなたは躁鬱病ではないと思います。躁鬱病というのは、もっと全く違います。

 

基本的に私は薬を飲みたくない人なので、そのことを伝えたら医師から「薬を飲みたくないのであれば、こちらとして言えることは「規則正しい生活をすること」くらいで、あとは心理カウンセリングを試してもらうくらいですね」と言われたため、まぁ確かにそうだよね、と納得し、その後2〜3回行って終わりました。(状態は改善していませんが)

結局薬を飲みたくない場合、

規則正しい生活を心がける

 - 特に起きる時間と寝る時間を毎日なるべく同じにすること。

 - なるべく1日1回は外にでて、散歩して陽に当たること。

 - なるべく体に良いものを食べること。

心理カウンセリングを受ける

くらいしかできることはないらしいです。

(その後自分で色んな本を読んで分かったのは、「日記をつける」「記録をつけて認知行行動療法を自分で試す」「適切な栄養をとる」というのも、薬以外でできることかと思います)

 

●4件目の心療内科へ〜「ダルマを生きるしかない」

ちなみにおまけ(?)として、3件目の心療内科に行っていた前後に、アユールヴェーダの診断もできる心療内科に数回行きました。そこでは「そうね、あなたのいうように、病気というより、魂の飢えの問題だと思うからダルマ(アーユルヴェーダの理論で、生きる目的とかそういう意味だと思います)を見つけてそれを生きるしか解決策はないんだろうね」と言われました。

私はこの診察を受けた時は、「なるほどやっぱり!」と納得&満足でしたが、今思うと、結局彼も最初の医師と同じで、私が話した私の見立てを繰り返しただけで、彼からの新しい指摘は何もなかったな、と不満に感じています。さらに私が受けたアーユルヴェーダ診断なるものは、保険が効かないのですごい高かったですから、ボッタクリみたいなものだったな、と感じます。(だからもちろんもう二度と行きません。どこの病院とは書きませんが、被害者が出ませんようにと祈るばかりです・・・)

 

●自分の見立て〜愛着障害&軽い境界性人格障害なのではないか?

その後、もう精神科医は本当にあてにならない、と心療内科へ行くことはバカバカしくなってやめました。その後、(詳細は端折りますが)最近になって、たまたま読んだ精神科医岡田尊司さんの本(「愛着障害」「境界性人格障害」など色々)が久々のヒットで、私の生き辛さの原因は、私に愛着障害があるからなのではないか?と感じました。

これは医者に言われたことでもないですし、自分で感じていることなだけなので、本当に私が愛着障害なのか、境界性人格障害なのかは分かりません。

ただ少なくとも、本を読んでみて当てはまることがたくさんありました。私は自殺未遂などはしたことがないし、今後もする気は無いので、多分その意味では、仮に境界性人格障害だったとしてもすごく軽い方なのだと思います。しかし、行動として自殺未遂などをしていないとしても、本の中に書かれていた、「そういうことをする人の心理」というのは、すごくよく分かります。

また、実はそれまで私自身、とても良い理想的な家に育っていた、と思っていたのですが、数年前から、実はうちの母は過干渉系の毒親だったことも判明しましたし、良い父親と思っていた父親も、まぁ父はいい人ではあるのですが、結局、なんですかね、本当に私自身を見てくれていたことはあまりなかったことが、最近生き始めた心理カウンセリングで分かってきました。

親は親で一生懸命やってくれていたんだと、頭ではもちろん分かっていますが、しかし、人間のベースの人格をつくる0〜3歳まで時期の私には、そんなこと分かりませんから、超条件付きの愛を与えられて、愛着障害を抱えていたとしても不思議はないと思います。

ちなみに、それでも私はギリギリまで、自分の親はいい理想的な親で、私が悪いんだ、私が何かおかしいんだ、と思っていました。しかし、決定的に、そうではない、私もなんか悪いしおかしいのかもしれないが、私の母親は決定的におかしい(=不健全)だった、ということが判明する事件がありました。それは完結にいうと、母親が最近自殺したということなのですが。

いま、その事件から数年たったので、やっとこうしてブログに書けるようになりましたけれど・・・。そしてやっと、「母が自殺をしたのは本当に悲しかったし、天地がひっくり変えるようなショックだったけれど、でも、ポジティブに考えるとすると、そのおかげで、私が被害妄想なのではなく、実際私の育てられた環境は精神的な虐待を受けた辛い環境だったのだ」と少しづつ認めることができるようになってきました。

そう、うちは、暴力を振るうとか、無視をする、という分かりやすい虐待は一切ないし、それどころか、先にも書いたように、中学受験をして中学から私立に行かせてもらい、習い事も色々して、とにかく教育熱心、子供中心の親だったので、私の家は本当にいい家だと信じて疑っていませんでした。

ただ、最近になって「毒親」というものが世の中に言われるようになり、自分で色々本を読んだりネットを調べたり、カウンセラーの方に聞く中で、「過干渉は精神的虐待に入る」ということがわかりました。

それでも、私はうちの親がそうだった、とはなかなか認められず、「私が自分が悪いのに、自分が生きづらいのを、うまく生きれないのを、被害意識妄想で親のせいにしようとしてるんじゃないか?」と思っていました。(今でもやっぱり少しはそういう気持ちがまだあります)

でも・・・多分客観的に考えて、母親が自殺をするってあまりないと思いますし、少なくとも健全な人は自殺はしないと思いますし・・・。

そう考えると、悲しいけれど、私の育った家は、どんなに良い家に見えたとしても、形は良い家ごっこをしていたんでしょうけど、ハリボテのような、中身のない、機能不全家族だったのかなぁと、それが今の私が考えていることです。

ちなみに一人の心理カウンセラーに言われたのは、私は被虐児ではないと思うが、私の母親は間違いなく被虐児であり、私は被虐児二世であるということ。

それに関して、つまり私自身が被虐児二世なのかどうか私はよく分かりませんが、少なくとも、超毒祖母に育てられた精神的に不安定な母親に育てられた私は、やっぱり問題がないわけないんだろうなぁ、とそんな風に考えています。

 

●原因不明の生き辛さを感じている人は「愛着障害」があるのかもしれない

長々書いてしまいましたが、今回の投稿で言いたかったのは、生き辛さを抱えている方で、心療内科でいろんな病名を言われたけど、いまいちピンとこないし改善もしない、という方は、もしかしたら「愛着障害」が原因であり、「境界性人格障害」の可能性もあるかもしれません、ということです。

境界性人格障害、というとなんだか怖い感じもしますから、「愛着障害」と言いますけど(本によると、うつ病などの他の精神病の原因でも「愛着障害」はあるみたいです)私の現段階の研究(勉強)によると、結局「愛着障害」を克服したら、回復する!!!ということです。

これは、私が読んだ何冊かの本の精神科医の方々が口を揃えておっしゃっています。道のりは長いかもしれないけれど、本人がやる気であれば、必ず克服できる、と。

 

●「愛着障害」を克服していきましょう!

実はこれこそ、このブログを始めようと思った理由です。

上記のように、私は長い年月とたくさんのお金を費やして、自分の生き辛さの原因を探し、克服しようとしてきました。しかし数十年かけても、惜しいところまで行くことはあっても、ど真ん中の原因発見&克服はまだできていません。

しかし、今年に入って、やっと、自分の生き辛さの原因ど真ん中と思えるものを見つけることができました。

なのでこれから、「愛着障害」を克服していこうと思っています。

そのための私の経過や、役立ったこと(情報、本、サプリ、考え方、運動、などなど)を投稿していきたいと思っています。

なぜなら、私は今まで落ち込んでどうしようもない時、いつもネットサーフィンをして、同じような状況で奮闘している方たちのブログを読んで励まされたりしていたからです。

だから、今度は自分が誰かの役に立てたら嬉しいし、それを励みに、自分自身、「愛着障害完全克服」の道を歩いていきたいと思っているからです。

(まだ完全回復はしていませんけど、病気に限らずどんなことも原因が特定できた時点で半分解決と言いますし)

 

長くなりましたが、今日は以上です!

気分が沈む時に心がけている対策5つ

ここ数日、少し調子が良かったけれど、昨日あたりからまた調子が悪いです。

理由は、コロナウィルスの影響で、漠然と考えていた今後の予定が狂い、引き続き快適ではない環境で過ごさないといけないこと、さらにそれがいつまで続くか分からないことが原因かもしれません。(もちろんコロナのことだけではなく、大元は私が生きづらさを抱えているからだと思いますが。最近突き止めたこの「生きづらさの原因」についてはまた別途書いていきたいと思います)

 

私の場合、気分が落ち込むのは、夜〜朝にかけてがもっとも落ち込みます。

昼間、特に天気が良い日や、外に出かけている時(仕事だろうとカフェだろうと)は「元気」とまではいかなくても、最悪の状態ではなく、気が紛れることが多いです。

 

昨日も、今朝もそうだったのですが、夜寝る時からすごく沈んでいて、それでスマホでネットサーフィンをしてしまったけれど、逆にどんどん落ち込むというか、脳が活性化し、余計なことをぐるぐる考えてしまいました。そのことに途中で気づき、「あ、良くない。もう寝よう」と眠くなくてもスマホの電源を切り、寝るようにしました。

●気分が沈む時の対策1:夜に寝ながらのネットサーフィンはやめる!

 

翌朝も憂鬱です。そう、朝も結構憂鬱なんですよね。今私は通勤する仕事はしていないので、「会社に行くことが憂鬱」というわけではありません。なんでしょうね、悶々としている今後の人生、生き方への悩みが解決していないから、というか、「また今日もはじまってしまった。今日も悶々としながら過ごし、何も生産的なことができず終わるのかな」という気持ちというか、あるいは、この悶々とした悩みを誰にも言えず、言ってもわかってもらえず過ごす孤独が嫌だというか・・・。

とにかく、落ち込んでいる時の朝はとても憂鬱です。

憂鬱だから、ついベッドの中で寝ながらあれこれ考えてはため息をつき・・・と過ごしてしまい、さらにそれによって、気づいたら昼近くになってしまい、そこでまた自己嫌悪的に落ち込み・・・と悪循環に入ってしまいます。

今日もそうなりそうだったのですけど(というか少しなっていましたけど)そのことに気づいたので、エイやっ!と力を振り絞ってベッドから起き上がりカーテンをあけました。

ありがたいことに今日は良い天気だったので、明るい青空をみたら、心が少し軽くなり、その勢いで着替え、洗顔、歯磨きなどを済ませました。こうして、「昼の調子の良い状態」に突入できました。

やっぱり、朝力を振り絞って、もう何も考えず自動的に、ベッドから出て、これまた何も考えず自動的に、カーテンをあけ、洗顔、歯磨き、など朝のルーティンに突入することは大事だなぁを、改めて実感した今朝でした。

●気分が沈む時の心がけ2:朝、余計なことを考えずとにかくベッドから出て、カーテンをあけ洗顔、歯磨き、まで一気にこなす。

 

上記に書いた2つのことは、いろんな本やブログで書かれている、気分が変動しやすい人が気分を安定させるためにすべき、基本中の基本だと思いますが、やっぱり確かに大事ですね。

 

そして書きながら気づきましたが、仮に上記理想的なことができていなかった場合、そんな「自分の状態に気づく」ことの重要性に気づきました。

信頼しているヨガや瞑想やセラピーの先生方が、みなさん別の手法の先生にも関わらず、共通して「自分の状態に気づくことが大事」とおっしゃっていましたが、その意味がちょっとわかりました。

気づけば、直せるけれど、気づなければ、切り替えることができず、そのまま悪い習慣(良い悪いはないけれど、ここでいう悪い習慣というのは、自分の心を落ち込ませる習慣、行為のこと)にハマり込んでしまう。

しかし、ハマり込んでいることに気づけば、それを断ち切ることができる。まさに私の昨夜と今朝の状態のように・・。

●気分が沈む時の対策3:自分の状態を常に意識して観察する。気づいているようにする。

「気分が沈む時の対策」と書きましたが、これは気分が沈む時に限らず、いつでもそうしていることが大事ですね。awakeness(目覚めている状態)とでもいいますか。

 

あとは、今年から本当に私が心がけていること。それは「決して自分を責めないこと」です。なぜなら、責めても何もいいことがない、何も生産的ではないからです。自分を責めて、自己嫌悪に陥って、それでメンタルが安定し、幸せになるなら、いくらでもやった方が良いと思います。

でも、自分を責めて、自己嫌悪に陥っても、状況は何も良くならないし、それどころか、さらに悪いスパイラルに入ります。いい加減何十年も生きてきてやっと、私もそのことに気づきました。(あ、また気づき。やっぱり気づきが本当に大事ですね)

なので、今年(2020年)のテーマの一つは、「決して自分を責めない!いじめない!」ことです。

責めないで、自分の状態に単に(ニュートラルに)気づき、ネガティブな自分も受け入れ、そして、ありたい状態を意識的に選択していく。

例)

落ち込みの悪いスパイラルで苦しむ

自分の状態に気づく

「あ、私今落ち込んでいるね」「自分を責めていたね」と自分の状態を裁くことなく、認める。
(OKするという意味ではなく、「それが青いですね。リンゴが赤いですね」のように、事実を事実として認識する、という意味)

ありたい状態を選ぶ
(例えば、自分を責めることをやめる。さらに、そのように気づけた自分を褒める、など)

●気分が沈む時の対策4:決して自分を責めない。いじめない!逆に自分を褒める。

 

今まで書いてきたことは、比較的マインドというか、心がけ的なことですが、もう1つ昨年末から取り入れていることがあります。

それは、栄養不足にならぬよう気をつけること。適切なサプリを取ること

です。

具体的に今私が気をつけて摂取しているサプリは

プロテイン(タンパク質)

・ビタミンB群

・ビタミンC

・鉄分

がメインです。

この辺については、お医者さんが書いた本がありますので、それを読むといいと思います。私が読んだ本は以下です。

 うつ消しご飯

うつに効く食べもの、食べ方、作り方―うつの予防と解消は食を正すことから

上記のどの本でも共通していたのは、

・タンパク質

・ビタミン類

・鉄分

が重要だということでした。

ちなみに私は、本にも紹介されていたiHerbでサプリを購入しました。

(紹介コード KRT257 をショッピングカートで入力していただくと、5%オフでご購入いただけるそうなのでよろしかったらご利用ください)

iHerbのサプリは海外の物が多いので、粒が多く飲むのが少し大変ではありますが、含有量が日本の物とは異なるらしい(日本の物より多い)こと、それから、海外の方がサプリのチェック基準が高いため、安全性も良いだろうと判断したこと、それからいちいち薬局で購入するよりコスパが良いことから、今後もiHerbを利用しようと思っています。

 

私が上記本を読んで、サプリを取り始めたのは昨年末からですが、すでに効果を感じています。

あくまで個人的な印象ですが、特に感じるのは、本当にタンパク質は大事!ということです。普段の生活だと意識しないとタンパク質ってなかなか取れないんですよね。それゆえ、私がとてもタンパク質不足だったせいかわかりませんが、とにかくプロテイン(※本によると植物性由来のソイプロテインではなく、動物性のホエイプロテインが良いそう!)を取り始めてから、気分がドーンと底まで落ちることはなくなった気がしますし、落ちても回復が早くなった気がしています。

逆にドーンと落ち込む時は、旅行など何らかの事情でプロテインを飲んでいなかった時が多い気がします。(それゆえ、プロテインの力はすごい!と分かったのです。少なくとも私にとっては)

ということで、

●気分が沈む時の対策5:プロテイン+鉄分+適切な栄養を取ることを心がける!(サプリでも良い)

 

以上、私も毎日、不安定な自分の心と上手に付き合っていくために試行錯誤しているところですが、同じような方のお役に立てばと、私が最近心がけていることで効果があったことをシェアさせていただきました。

(そして自分の備忘録も兼ねて・・・)

 

 

生き辛い人→逆境のある人→逆境をバネにする

昨日突然、SHOWROOMの社長である前田さんのことがフト気になって、ググりました。
「ところで、あの人って一体どういう人なんだろう?」と突然気になったのです。

 

多分その伏線は、数ヶ月前に堀江さんの動画に出ていらしたのを見たことだと思います。それまで前田さんのことは名前とSHOWROOMの社長であることしか知りませんでした。

堀江さんの動画で見た前田さんは、とても誠実そうに見えて「この人、一体どういう人なんだろう?」と感じたのです。
カメラに正面向きではなくなってしまうにも関わらず、カメラ正面ではなく話者(その時は堀江さん)になるべく正面に向くように体を向けて話を聞いていた、その姿が脳裏にひっかかっていました。

 

でもその後すぐにそのことは忘れてしまったのですが、昨日ググって驚きました。彼、とても大変な環境に生まれ育っていらしたのですね・・・。

(ちなみに私が最初に読んだインタビューは、『DeNAファウンダー南場智子が5年かけて口説き落とした男』です。)

 

私が感銘を受けたのは、

・苦労人であることを感じさせない現在の姿。

現在活躍されている人の中には、苦労人であることがにじみ出ている方もいらっしゃいますよね。もちろん、そういう方も本当にすごい、と思いますが、私個人的には、大変な環境に生まれ育ち、苦労したことを感じさせない、匂わせない人がカッコいいなぁと感じます。そういう方からは、もうその「苦労」や「大変な環境」を完全に克服していることを感じるからです。

 

・人に負けたくないのではなく、運命に負けたくない。

 以下、先ほどのインタビューにあった言葉。

根底にあるのは、「人」に負けたくないのではなくて、あくまで、自分に課された「運命」に屈したくないという気持ちです。逆境に屈することなく、どこまで高みに昇れるのか、自身の人生を通じて証明したい。これが、自分の根源的なモチベーションです。

 

私は幼少の頃から、漠然とした空虚感や生き辛さを感じていました。

数年前に、それまでずっと素晴らしい理想的な両親と思っていた親は、実は毒親機能不全家族だったことが分かる事件がありました。

それ以来、前向きに考えようとしつつも、いつも心のどこかで、
「こんな家に生まれたくなかった」
「もっと違う家に生まれていたら、どんな人生だっただろう?」
「健全な家族に育った人に比べて、毒親&昨日不全家族に育った人は、マイナスから始めなくてはいけないから、本当に不公平だし、辛い」
と思っていました。

 

そんな私にとって、前田さんの上記の言葉「自分に課された運命に屈したくない」はとても響きました。勇気をもらいました。

 

そして、前田さんがもし健全な恵まれた家庭に生まれ育った方だったら、今と同じことをしていても、私にこのような影響は与えていないと思います。単に能力の高い若い起業家、とかその程度です。しかし、彼の大変だった生い立ち、そしてそれをバネにしての今の姿だから、私に大きな勇気をくれることができた。

そう考えると、私も、自分の育った環境をバネにし、毒親機能不全家族ゆえのメンタルの弱さ、癖、を克服し、本来の自分を取り戻し、イキイキと輝き豊かに幸せに楽しい人生を送ることができたら、きっと、前田さんが私にくれたように、誰かに勇気と希望を与えることができるんじゃないか。そう思って、なんだかやる気が出てきました。

 

人は生まれる家を選べない。

だけど、生まれた後に、どう生きるかは選ぶことができる。

 

私は今はまだ「愛着障害」による生きづらさ、心のクセを抱えていますが、必ず克服し、本来の自分を取り戻し、輝いて豊かに楽しく幸せに生きてゆこうと思います。

 

逆境は、乗り越えるためにある。

それをバネにするためにある。

より遠くに飛ぶためにある。

乗り越えられる人にしか、与えられない!

 

前田さん、お会いしたことはないけれど、勇気と希望を、ありがとうございました。

 

2020年は本来の自分を取り戻す!

この数年は色々なことがありましたが、昨年(2019年)も本当に大変な一年でした。

言うなれば「泣きっ面に蜂」な1年。

で、昨年末、「もう無理・・・」となり、人生で初めて心理カウンセリングに申し込みました。

良かったカウンセラーもいれば、そうでない方もいて。結局、4名の方にお願いし、合計で20万円弱使いました。(カウンセリングって保険が効かず自由な値段設定だから本当に高い!)

結果的に、
×とてもひどかった人1名
 (ネットでとても評判が良く、手広く集客しており展開している方。2時間で3万円)

○まぁまぁ良くて、色々ヒントをもらえた方2名
 (一人は1時間1万5千円。もう一人は1時間7千円。現在は値上げして8千円とのこと)

◎とっても良かった方1名
 (1時間1万5千円)

でした。

 

最後に書いた「とっても良かった方」に関しては、しばらくは今後も定期的にカウンセリングを受けたいと思っています。ただ金額が安くはないので、月に1回くらい受けられたら良いなという感じですが。

 

今までカウンセリングは気になりつつも「会話するだけで何か効果があるのだろうか?」「専門の勉強をしたプロの方達とはいえ、値段が高すぎる」と思って受けるまで至りませんでしたが、今回は「もうこのままだと闇に落ちるしかない、とても自力では這い上がれない・・・」という状況だったので、背に腹は変えられず、「どうせもう生きていたくないくらい追い詰められているなら、金額が高いとか関係ないよね?」とふと冷静になり、受けました。

 

結果的には、上記に書いたようにハズレも方にも当たりましたが、しかし、それも含めて学んだこと、気づきが色々ありました。また、その後も自分で気になる本を見つけては片っ端から読んでおり、そこでの気づき、学びも色々ある今日この頃です。

それらは、「過去の自分に教えてあげたい!」「ここで学んだこと、気づいたことは忘れないようにしたい」と思うものもあるので、そのようなものを、自分の備忘録のために。そして、私のように生きづらさに苦しんでいる方のために少しでも役に立てばと、マイペースでブログを再開することにしました。

 

本当は新しいブログを作ろうと思ったのですが、はてブのログインパスワードがまだ残っていたので、とりあえずしばらくは、ここに続けて書いていこうと思います。

近いうちにブログのお引越しをするかもしれませんが・・・。

 

ということで、1年以上ぶりのはてブですが、「本来の自分を取り戻し、自分にふさわしい幸せで豊かな人生を送るために役立つこと。大事なこと」を書いていきたいと思っています。

 

いつまで続くかわかりませんが、どうぞよろしくお願いします。